6月25日で、マレーシアは3月18日の活動制限令から100日目を迎えました。
今回はこの4ヶ月、マレーシア人がどのようにこの状況と向き合い、封じ込めに向かって動いていたかについて触れてみたいと思います。
1,感染拡大初期の動き
マレーシア国内で最初の報道があったのは2月末。
そこから2週間の間はあまり気にはしていなかったものの、3月15日のスーパー買い占め行列によって、その深刻さにようやく気づかされることになりました。
もう10年以上も前から自宅電話よりも個人の携帯電話所有率の方が高いお国柄、SNSでの情報収集が速く、16日の夜に活動制限令が出される数日前には既に自宅待機に向け動いていた人が多くいました。
3月17日には閉店を決めるレストランや店舗が決まり、友人と集まれる最後の夜になったことを覚えています。
2,警察と軍の効果
活動期制限初日。
考えてみれば日本人である私たちは自然災害やインフルエンザは経験したことがあるものの、ウィルス感染による外出規制は初めてなのではないかと思えました。
毎日渋滞していた車の往来がピタッと止み、街の中がこんなに静かになるものなのかと外に出て驚いたのを覚えています。
夜遅くに友人宅へ行こうとしたり、こっそり州をまたごうとしていた人はいましたが、すぐに警察に見つかってUターン。
まだ着任したばかりのムヒディン首相の制限令違反への罰金と勾留宣言が、国民に「無駄な労力は費やしたくない」と思わせ自粛効果に繋げてもいました(路上で国籍問わず取締りが行われ、日本でも報道されていました)。
3,仕事への向き合い方
制限が出ると同時に、稼働を停止させるべきではない必需業種リストも発表されました。
銀行、金融関係を筆頭に消防やインフラなどがリストアップされ、許容出社率についても制限が…。
即日、多くの企業がリモートワークへ切替えたわけですが、中小企業が救済を申請すると共に大手企業も様々な工夫をこなしていました。
例えば書類への署名はPDF機能を使って画面上で行い、メールで送信すれば解決できます。
書類や印鑑提出の多い日系企業も、稼働さえできていれば顧客への手間や影響を出来る限り減らすよう、一時的措置をとっています。
この約3ヶ月、街中は運転手業務からデリバリー業へ切り替えを行ったGrab FoodやFood Pandaのバイクで、緑とピンク色に染められていました。
マレーシアは何がなんでも出社しなければならないという意識が良い意味で強くないので、仕事の場所を問わず、まずは迅速な問題解決に集中しているような気がします。
4,医療機関
医療機関はかなり整っています
マレーシアは感染者増加当初から多くの病院で受け入れ体制が整っており、隔離施設もかなりの速さで準備されたことで、これまでの感染者8,658名、回復率は97.7% (死亡率1.4%)を記録しています。
6月末から感染者数が一桁を記録するようになり、街の中にもかなり人が戻ってきた様子が見えます。どこへ入るにもマスク必須、検温、アプリでの連絡先登録が求められますが、それが功を奏しているのであればちょっと面倒ですが続けるしかありません。
おわりに
現在の感染発生は、出入国管理施設でのクラスターや海外からの帰国者が目立っています。
回復期の8月末までに限りなくゼロに近づけられれば、他の低リスク国家との往来へ向けて一歩踏み出すことができます。
収束で完了なのではなく、この機会に労働環境への対策もできれば尚良いという感じもします。
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